岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

岐阜新聞 真学塾59 教育学部 平林豊樹  

羽仁五郎『明治維新』のすすめ

                  岐阜聖徳学園大学教育学部准教授 社会専修 平林 豊樹

 皆さんに、羽仁五郎『明治維新』(岩波新書、改版一九五六年)を勧める。

 初め、本書は、天皇制ファシズムが猛威を振るう一九四〇年、『中央公論』に連載された(敗戦後、岩波新書で出版)。紀元二六〇〇年なる暦年の祝典が挙行されるような時代に、時流を(いぶか)しがる人々は多かっただろうし、体制を非難する思想の持ち主も存在した。しかし、狂気が支配する暗い時代にあって、彼らは、思想を自由に発表する場をほとんど持たず、言論は、政治権力(軍部を含む)による弾圧に(おびや)かされていた。日本浪曼派の関係者は多くの著作を発表したが、谷崎の『細雪』ですら発禁に処された時代である。

 そんな時代に、どうすれば体制非難の思想を公表し得るのか。本書で羽仁の採った方法は、「誉め殺し」である。彼は、封建的統制から民衆を脱出させた「現代日本の起源」を明治維新とし、憲法と自由とによって民衆の生活が保障される「近代国民としての生活」は明治維新以来のことだとして、明治維新の現代的意義を学術的に究明し称揚する。しかし、字面(じづら)を読めるのみならず賢明でもある読者なら、本書の読後、次のように考えるに違いない。すなわち、明治維新の末裔(まつえい)たる当時の日本の体制は、明治維新の意義を実現しようとしないではないか、と。羽仁が狙ったのは、これである。彼は、明治維新の意義を絶賛する言論を公表することで、賢明な読者に向かって暗に現状を非難し読者を啓蒙したのだ。

 『明治維新』は、暗い時代における学問的抵抗の一例を成す。研究者が自らの政治思想を基に研究し発言するのは、人として当然だ。そこで、学問にとって重要なのが客観性である。客観性は、研究成果が学界内外で公表されること、研究成果が学界の構成員同士で相互に批判されること、によって成就する。政治権力がこの客観性を破壊する時代に、研究者や言論人は、弾圧を(かわ)す方法を自ら見出さねばならぬ。読者は、その方法を解読し得る程に賢明でなければならぬ。『明治維新』は、最新の研究成果で訂正されるべき部分を有すものの、すでに歴史書の古典に属す。今の我々が本書から汲むべき含蓄は、大きい

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