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学校周辺の史跡Ⅳ~無念塔

学校周辺の史跡Ⅳ~無念塔
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学校周辺の史跡Ⅳ~無念塔

無念塔

柳津町は江戸時代には松枝輪中に属する羽栗郡柳津村、百曲堤(佐波)輪中に属する厚見郡高桑村、佐波村がありました。明治30年(1897年)、高桑村と佐波村が合併し稲葉郡佐波村となり、昭和31年(1956年)、羽島郡柳津村と合併し羽島郡柳津町となったのです。さらに平成18年(2006年)1月1日、岐阜市と合併し現在に至っています。学校のある高桑地区については更に調べていく必要があります。1527年に落城した際に高桑氏は越前に移りますが、その後武山氏の力を恐れた信長の子、織田信忠城之介の兵に不意打ちを受け、武山太郎左右衛門館において闘いましたが、永禄11年(1568年)12月26日、16名が切腹し自害しました。これが無念塔のいわれです。自害した16氏の名前が刻まれています。


学校周辺の史跡Ⅳ~無念塔
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すぐ西には高桑神社