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9月のご命日法要がありました

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9月のご命日法要がありました

宗教委員による献華・献灯・献香

本日5限に、夏季休業明け最初のご命日法要がありました。

今回は、本願寺派布教使、専宗寺ご住職でいらっしゃる大熊秀基先生をお招きして、ご法話をいただきました。

「唯識」(八識)とは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識から構成されているというお話をうかがいました。そのうち、末那識と阿頼耶識は無意識の領域のことであり、経験を積むことと、その経験をたくわえることをあらわしているとのことです。

人はそれぞれ、積み上げてきた経験が異なるため、物事をはかる物差しも違っています。しかしながら、仏さまの物差しは、すべての人の物差しを合わせたような長さがあるのです。仏さまの物差しは無限の長さがあります。

人の物差しは、仏さまの物差しに比べたら大変小さなものです。それゆえ、人は物事をはかるときに「迷い」が生じるのです。

人は、その小さな物差しで世界を見るしかありません。ですから、自分の物差しで全ての事象をはかることができると思ってはいけないのです。自分の物差しと他者の物差しを見比べ、その違いを理解して受け入れることで、自分の物差しが少しずつ長くなり、仏さまの物差しに近づいていくことができるのかもしれませんね。人は、こういった他者との関わりを「ご縁」として、大切にしなければなりません。

セミは、夏しか生きられないのですから、他の季節を知りません。ですが、それゆえに、セミ自身は、自分が夏しか知らないことにさえ気づくことができないのです。セミはそのことを知らなくても、四季を生きる人はそのことを知ることができるように、人が知ることができないことを仏さまは知っているのです。仏さまはその無限の視点で、私たちを見守ってくださっているのですね。


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本日の講師でいらっしゃる大熊秀基先生

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9月のご命日法要がありました

講堂でご法話を聴きました