岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

岐阜新聞 真学塾 外国語学部⑤ 大塚容子

たかが挨拶、されど挨拶...

岐阜聖徳学園大学外国語学部教授 大塚容子

 朝、登校して友人に会ったとき、最初に交わす言葉はなんでしょうか。「おはよう」、「おっす」、「おっはー」など、人によって使う表現は様々でしょうが、いわゆる挨拶を交わします。日本の社会は挨拶することが重要視されていて、学校の教室の前に「きちんと挨拶をしましょう」「大きな声で挨拶をしよう」などといった標語が掲げられていることも多々あります。

 当たり前のように毎日交わしている挨拶。なぜ私たちは挨拶をするのでしょうか。この問題を考える前に、言葉の働きについて考えてみましょう。「言葉はどんな働きをしていると思いますか」という質問をすると、多くの場合、「何らかの情報を相手に伝える」、「自分の考えを相手に伝える」、「自分の気持ちを表現する」といった答えが返ってきます。自分の考え、自分の気持ちも情報の一種だとすると、言葉の働きは情報の伝達ということにまとめられそうです。

 この点を踏まえて、もう一度、挨拶の問題に戻ってみましょう。「おはよう」という挨拶を交わすことによって新しい情報を伝達しているでしょうか。答えはノーです。何ら新しい情報の交換はしていません。では、なぜ挨拶を交わすのでしょう。ここで、こんな場面を想像してみてください。登校途中に親しい友人を見かけ、いつものように大きな声で「おはよう!」と声をかけた。しかし、相手は何も言わずに通り過ぎてしまった。こんなとき、あなたはどう思いますか。「私、何か悪いことをしたのかな」、「あの子、私のこと嫌いになったのかな」こんな感情を抱くのではないでしょうか。挨拶を返さないことによって、「私とあなたは友好な関係にはない」ことが伝わってしまうのです。ということは、挨拶にはお互いが友好関係にあることを確認する働きがあると言えるでしょう。

 言葉には、情報を伝達するだけでなく、人間関係を構築し、それを維持する機能があるのです。日本語では挨拶がよりよい人間関係を保つために重要な働きをしていて、挨拶のし方一つで人間関係ががらりと変わることもあるようです。たかが挨拶、されど挨拶...。(2020.12.6岐阜新聞掲載)

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