岐聖大通信Vol24

岐聖大通信Vol24 page 12/20

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聖徳学園創立50周年昭和47年~平成12年在職岡部晃子さんTO BE CONTINUED・・・TO BE CONTINUED・・・大学開学当時の様子を、音楽(声楽)の授業を開学の頃から担当されていた岡部晃子さんに伺いました。▲昭和58年ご....

聖徳学園創立50周年昭和47年~平成12年在職岡部晃子さんTO BE CONTINUED・・・TO BE CONTINUED・・・大学開学当時の様子を、音楽(声楽)の授業を開学の頃から担当されていた岡部晃子さんに伺いました。▲昭和58年ごろの羽島キャンパス(20周年記念誌より)〈第2回〉昭和47年?昭和59年BACK to THE SHOTOKU聖徳学園岐阜教育大学の開学当時、私は音楽教員として勤務していました。まだ校舎は1号館しかなく、ピアノなどの設備も整っていなかったため、最初の1年間は短期大学の部屋を借りての授業。大学1期生は50名弱と、ささやかな人数でのスタートでした。翌年からようやく大学で授業ができたのですが、今のような個室の練習室も研究室もありません。先生も私を含めて3人しかいませんでしたから、ピアノのレッスンから座学まで何でも教えました。でもそのおかげで先生方や学生とは、とても親密な関係を築けました。当時の学生たちは本当に熱心で、こちらも「しっかり教えなきゃ」という気持ちにさせられ、学生と切磋琢磨するような毎日がとても楽しかったですね。今でもその頃の学生とは、手紙のやりとりやオリンピック開催年毎に会う機会を持っています。それから記憶に残っているのが、バス通勤の思い出。今は大学行きのバスがありますが、当時は天文台か日置江のバス停で降り、学校まで歩かなければなりませんでした。日置江からだとかなりの距離ですし、天文台までの路線は民家や田畑の間をぬって走るようなガタガタ道。短大や岐阜南高校(現・岐阜聖徳学園高等学校)の学生も乗るため、バスはいつもぎゅうぎゅう詰めでした。でもバスの中で会う学生たちと一緒に話をしながら通ったその道のりが、大変ながらも楽しかったことを懐かしく思い出します。聖徳学園創立50周年を記念して前号からスタートしたBTTS。第2回は大学が開学した昭和47年から昭和59年までを振り返ります。主な出来事昭和47年聖徳学園岐阜教育大学(現在の岐阜聖徳学園大学)開学附属小学校・附属中学校開校昭和51年附属高等学校開校昭和56年岐阜南高等学校野球部(現在の岐阜聖徳学園高等学校)夏の甲子園大会に2度目の出場NewsSHOTOKUSHOTOKUDigest今年は「聖わく星?みんなのわくわくひとつの星に?」をテーマに岐聖祭を開催しました。レンジャーショーやお菓子まき、よさこい演舞に模擬店と子どもから大人まで楽しみました。中夜祭、後夜祭では学生もお客さんも一緒にダンスを踊りました。第14回岐聖祭3~512/8大12/学で成道会の集いが行われました。「成道」とは悟りを開くという意味で、お釈迦様が悟りをお開きになった12月8日にお勤めをします。即得寺住職賀嶋明光先生(元岐阜聖徳学園大学講師)から「若き日のお釈迦さまの悩み」と題する講演がありました。成道会の集いじょうどえ1012/今年度最後のフレンドシップ活動が行われました。ぐんぐん農園で育てたお米やさつまいもを調理して食べ、大地の恵みを味わいました。また、学生からこども達へ歌をプレゼント。一年間の思い出を振り返り、別れを惜しみました。活動を通して、こども達に、自然とふれ合うこと、工作する楽しさ、仲間の大切さを伝えられたと思います。第7回フレンドシップ活動122/岐阜市文化センターにて、平成23年度教育学部中等教育課程音楽専攻卒業予定者の中から、卒業試験で選ばれた10名が演奏しました。若々しく一生懸命な演奏に皆、聴き入りました。教育学部卒業演奏会平成23年度の下半期12