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第14号 平成20年6月発行

「スポーツにおける奇妙な光景」

河智 義邦

北京五輪を控えた中国で大地震が起こり、多くの方が被災され、死者の数はどこまで増えるのかまだ先が見えていません。ミャンマーのサイクロン被害についても同様です。こころよりお悔やみ、お見舞い申し上げます。
さて、その北京五輪をめぐるニュースの中で、最近特に話題になっているものに「最速の水着」があります。今季樹立された世界新記録のほとんどが、英国の S社が開発した水着を着用した外国選手によって出されているのです。となると、当然日本選手としてもその水着を着たいと思っても不思議ではありません。し かし、日本水泳連盟は五輪日本代表の水着を国内のスポーツメーカー3社と契約しているため、ことはそう簡単ではないようです。新聞の社説では、水泳の本質 が置き去りにされて、競技が道具に振り回される事態を次のように論じていました。「平等、公平はスポーツに不可欠だ。競技の発展、普及に先端技術の果たす 役割は大きいが、その恩恵を受けられる者は決して多くない。企業の支援や豊富な資金がなければ勝てない状況は、結果として競技の衰退を招くだろう。スポー ツに過剰な格差を持ち込まないよう、どう対処すべきか。」(08.5.26中日新聞より)と問題提起されていた。この記事をゼミの中で取り上げ、学生同士 でその是非について議論してもらいました。「選手にとっては生活がかかっているから、一概に純粋なスポーツ精神だけでは判断できない」など現実的な様々な 意見が飛び交い、その関心の高さを感じました。
わたしはその際に、同じく北京五輪のある競技をめぐるある奇妙な光景について、話を振ってみました。
それはバレーボールの五輪予選のことです。最も公式な大会への出場権をかけた戦いですから、そこに求められるのは、全ての国の選手が同じ条件の下でプ レーすることだと思います。まずは、それに出場する国(日本)で大会を開催することに違和感を感じました。(もちろん私は日本に五輪に行ってもらいたいと 願っていました。)しかし、すでに日本で開催していることをとやかく言っても始まりません。百歩譲ってそれは受け入れたとしても、問題はそれを報道するテ レビの演出です。会場は日本人でいっぱいです。サッカー風にいうと、相手選手からみれば完全にアウェー状態です。当然どの試合も日本にとって優位な雰囲気 で包まれます。しかも、会場内ではD.Jのような人の声が大きく響き渡り、日本への声援を促していました。そこには、スポーツの公平・平等性のすがたを見 ることはできませんでした。同じ日本人として他国の選手に申し訳ないという思いでいっぱいになりました。特に五輪予選という場であることが、私をそういう 思いに駆り立てました。選手は一生懸命にプレーしています。その結果日本は出場権を獲得しました。しかし、日本を応援すればこそ、ひいきすればこそ、そう した光景を残念に思いました。
学生からは、「一生懸命にテレビを見ながら応援していたが、そういうふうに感じて見ていなかった」「そう指摘されれば、確かにそうかも」など、賛同の意見が少なからず出ました。
物事を自分本位に偏った観点から見ることを戒めるのが、仏教の基本にあります。しかし、自国のチームを熱心に応援してしまうのも凡夫の業かもしれません。そこは少し大目に見ていただいて(^ ^ ;)。なればこそ、その奇妙な光景が残念でなりませんでした。