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第19号 平成21年4月発行

「怒らない心…それが慈しみの心、やさしさの心、慈悲の心」

城福 雅伸

仏教がかかげる心のなかで、どのような心が最も尊い心、勧められているよい心かと言えば慈悲にきわまるでしょう。およそ仏教で慈悲を説かないものはありま せん。仏や菩薩が人々や生命あるものの苦しみや苦悩を除きそこから救い、楽、幸福を与える心が慈悲なのです。ですから慈悲をやさしく言いますと、親切な 心、やさしい心、あたたかな心です。少し古い言い方ですと「なさけ」「なさけ深いこと」といえます。困ったり苦に陥っている生命あるもの、人々に手を差し 伸べる心のことです。そのため美しい心といっていいでしょう。最初のお話「親切心の覚悟」で述べました「親切心」こそがこの慈悲の心です。
慈悲の慈と悲は厳密には若干異なります。慈は「楽を与える心」です。つまり生命あるもの、また人々を幸福にして行く心です。悲は「苦を除く心」です。つまり生命あるもの、人々の苦を取り去る心、救済する心です。
さてこのような慈悲は非常に尊い心で仏や菩薩の心といえますから、私たち凡人(仏教的に言いますと凡夫)には実現しにくいと思われるかも知れません。し かし凡夫であるからといって実現できないわけではありません。むろん仏や高位の菩薩ほどではないにせよ、やはり心に出現させることのできる心なのです。
ではどうすればよいのでしょうか。それば慈の本体と悲の本体を見るとわかります。慈は無瞋を本体としています。無瞋とは以前「怒りは悪の心」でお話しし ました怒りの心である瞋の正反対の心で善の心です。つまり「怒らない心」です。私たちは怒らない心ということを軽く考えていますが、これは無瞋という非常 に尊い心、善心なのです。そしてこれが慈の本体、慈そのものなのです。同じように悲の本体はといいますと不害という心です。不害とは「生命あるものを傷つ けない心」で、優しい心といえましょう。この不害はさらに本体を持ちます。それが無瞋なのです。つまり慈悲は無瞋に極まるということなのです。これは非常 に重要なことなのですが、ほとんど知られていません。
つまり怒らないことを心がける、いつも温厚に…ということが無瞋であり不害であり、そして慈悲になるということです。慈悲の実現は難しい修行がともなう わけでも遠くにあるものでもありません。怒らない心一つに極まるのです。しかし人間の感情のもっとも抑えにくいものですからこの点からは最も実現が難しい ともいえます。しかしできないわけではなく手が届くということが重要な点の一つです。怒りの心である瞋が殺人をも起こす心であると前に書きました。ですか ら無瞋、つまり怒らない心はその正反対の善心、つまり人を生かす心、救済の心なのです。これが慈悲の本質なのです。
このように怒らない温厚な人は本当に心の美しい人、善の心をもった人なのです。前のお話の最後に、腹の立ちそうな時でもおさえることは、実は非常に重要 なことであるということを述べたのはこのことによります。つまり慈悲の実現につながるということなのです。怒らない心一つで慈悲になるということを覚えて おいていただけるとまた「ぐー」(宗教学のA評価(^o^))です。