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第28号 平成22年10月・11月発行

いつも目新しく

蜷川 祥美

 『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』に、「信心をいただいた上は、同じみ教えを聴聞しても、いつも目新しくはじめて耳にするかのように思うべきである。人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが、同じみ教えを何度聞いても、いつも目新しくはじめて耳にするかのように受け取らなければならない」とあります。

 蓮如上人とは、浄土真宗のみ教えを伝える本願寺の第八代宗主をおつとめになった方です。阿弥陀如来の変わらぬ真実の心に出遇った上は、何度同じみ教えを聞いても、はじめて聞いたかのように受け取るべきであるとのおさとしです。

 「今日できることは今日のうちに済ませてしまいなさい」、幼少の頃から繰り返し繰り返し言われてきた言葉です。しかし、小学生時代の夏休みには、遊びに夢中で、毎日書かなければいけない絵日記をついついさぼりがちでした。8月も終わりとなり、はじめて毎日の積み重ねの大切さに気づかされ、この言葉の意味を痛切に感じることになりました。夏休みが始まったばかりの頃には、この言葉の意味がよく理解できていない私だったと思います。

 阿弥陀如来とは、無量寿如来(限りのない寿命の仏)・無量光如来(限りのない智慧の仏)とも説かれるように、如何なる時でも変わることのない理想の心を私たちに示し、自身の愚かさを気づかせて、つつみこんで救うはたらきをもつ仏であるといいます。理想とはほど遠く、さまざまな経験を通して変わり続けている私の心が、変わらぬ仏の心に気づかされる時、自身の愚かさに対しての発見があり、それをより深く見つめて生きていきたいと思う人生が開かれるのではないでしょうか。

 幼い頃とは異なり、大切な肉親や、友人との別れを経験して、その度毎に、人の命の儚さ、それ故の尊さに気づかされたように思っていましたが、ふと気づくと自身や周囲の命が明日もあるのだと思い込み、命の大切さを忘れている愚かな自分の心がここにあります。 変わらぬ阿弥陀如来の心が、常に私に届いているのだと気づかされることがどれほど大切なことなのか、あらゆる機会を通して目新しく受け取らせていただく人生を歩みたいものです。