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第29号 平成22年12月・平成23年1月発行

「私を生きる」という歓喜

譲 西賢

2010年10月13日に私は、「私が人間に生まれ、人間を生きている意義と喜びとは、こういうことなのだ」と実感させてもらいました。それは、8月5日に起きたチリのサンホセ鉱山の落盤事故で生き埋めになった33名の方々が、69日ぶりに救出されたことを知ったときのことです。8月5日の事故から22日まで17日間、安否さえわからなかった人たちが地下700mのシェルターに無事避難していることがわかってからは、世界中の人々が彼らと救出に当たる人々を応援し、現代工学の粋を集めて、奇跡ともいうべき救出が達成されました。地の底で生存してくれていること自体が、私たちの希望であることを実感させ、勇気と感動を沸き立たせてくれました。

日本の地球の反対側で、見ず知らずの人たちが救出されて、どうして私たちは歓喜したのでしょうか。そうなのです。すべての人は、あるがままに生きて存在していること自体が、希望であり勇気であり、喜びなのです。そのことを彼ら33名が教えてくれたのではないでしょうか。何の条件もなく無条件に生きていることだけで、感動であり歓喜なのです。それなのに、私たちは、自分のことや身近な家族のこととなるとどうして、生きているだけでは喜べないのでしょうか。喜べる自分の「いのち」であるはずなのに、「自分の思い通りのいのち」という条件をいつの間にか設定し、その条件が充たされなければ喜べない私になっているのです。

2010年のお正月はこんなことがありました。何年ぶりかで積雪の新年を迎えました。お正月らしい情緒があっていいものです。ところが、その雪は私には恨みの雪でした。お正月を迎えるにあたって私は、例年になく境内の草除りや掃除をしました。指にはあかぎれができ、腰も痛くなるほどでした。これなら、真夜中に勤める修正会に参詣に来られる方を、境内の水銀灯で気持ちよく迎えられるだろうと、自信の出来映えでした。ところが、大晦日の昼頃から降り始めた雪は、見る見る積もり、夜には積雪15センチになりました。自信の出来映えの境内は雪の下にかくれてしまいました。

「情緒があっていい雪だね」と楽しむどころか、私は降る雪に腹が立って仕方ありませんでした。親鸞聖人は、この私のために「善悪の凡夫人」と諭してくださっているのです。「綺麗な境内ですね。」「ご住職が境内をきれいにされたのですね。」とかのことばを聞くために境内の掃除をした私だったのです。雪も降らず、期待通りのことばを聞き、多くの参詣者がいてくだされば、私は、何も恨むことなく、いい修正会であったに違いありません。私に限らず人間は、どうしても自分の都合や思いに照らしてしか判断できませんから、善悪の凡夫人なのです。

無条件に生きているだけでは喜べない、善悪の凡夫が私なのです。「自分の思い通り」という条件が充たされるという善がなければ喜べないのが、私なのです。サンホセ鉱山の方々が教えてくださったように、「私を生きる」ということ自体が、無条件に歓喜であり感動です。それは真実です。でも、それを善悪の凡夫である私たちは、自分の思い通りという善にこだわり、それが充たされるという条件が達成されなければ喜べなくなっているのです。中国の曇鸞大師は、人間のこの生き方を「碍は衆生に属す」と説いておられます。そのことに気づかせてくださるはたらきが、如来なのです。