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第32号 平成23年6月・7月発行

一人の子供のように

蜷川 祥美

 親鸞聖人の著された『顕浄土真実教行証文類』行巻には、「次のように仏を念じるがよい。仏は慈悲の眼で衆生を平等に、またただ一人の子供のようにご覧になる。だからわたしは、広く大いなる慈悲の心を持つ母である阿弥陀仏を信じ礼拝したてまつる。」(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』)と述べられています。源信和尚の『往生要集』の引用です。阿弥陀仏は、その慈悲の心で、生きとし生けるもののすべてに、我が子のようなまなざしを向けてくださっているということです。

 童謡詩人の金子みすゞさんの詩を引用します。

『こころ』

お母さまは/大人で大きいけれど。

お母さまの/おこころはちひさい。

だって、お母さまはいひました、/ちひさい私でいっぱいだって。

私は子供で/ちひさいけれど、/ちひさい私の/こころは大きい。

だって大きいお母さままで、/まだいっぱいにならないで、/いろんな事をおもふから。(『新装版 金子みすゞ全集』)

 お母さんは心配で、小さな我が子のことばかり考えているのです。そんな心を詠った詩だと思います。私の両親も同じようなことを言いますし、きっとみなさんのご両親も同じ思いをお持ちでしょう。しかし、子供であった私には、そんな心になかなか気づけませんでした。

もう一つ詩を引用します。

『さびしいとき』

私がさびしいときに、/よその人は知らないの。

私がさびしいときに、/お友だちは笑ふの。

私がさびしいときに、/お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、/仏さまはさびしいの。(『新装版 金子みすゞ全集』)

 誰にも私の気持ちはわからない。つらく悲しいとき、私たちは孤独を感じます。しかし、自分の気持ちを友人に打ち明けてみて下さい。明るく励ましてくれるかもしれません。ご家族に打ち明けてみて下さい。やさしく言葉をかけてくれるかもしれません。

 でも、私の側に誰もいないと思ってしまうときもあるかもしれません。そんな時は、仏さまの心のことを思い出してみてください。阿弥陀仏は、どんなときでも、あなたのことを我が子のようなまなざしで見つめてくださっていて、あなたがうれしいときは、うれしいねと、さびしいときは、さびしいねと、一緒の心で見守ってくださっているのです。そうした心に気づかされるとき、私たちは安らかな気持ちをもつことができるでしょう。

 また、生きとし生けるもののすべての心を我が心とするという仏の心を目指すべき理想と考えるとき、多くの命とのつながりで生かされている私自身の存在の尊さにも気づくことができ、私は決して一人ではないというみ教えに出逢って、まことの喜びを感じ、仏さまに、周囲の多くの命に対して、ありがとうと思える心も育まれていくことでしょう。

 生きとし生けるもののすべてに一人の子供のようなまなざしを向けてくださる阿弥陀仏の心に出逢うことは、本当のしあわせに気づくことではないでしょうか。