第36号 平成24年10月・11月発行
本当のやさしさ
蜷川祥美
仏教の目的は仏と成ることです。そして仏とは智慧と慈悲を実現した理想のこころをもつものであるといいます。
智慧とは、自己中心的なこころをはなれて、あらゆる命あるものにささえられて生かされている自身のありさまや世界のありさまのすべてを見通すこころ、慈悲とは、苦しみに沈むあらゆる命あるものと同じこころとなって、ともに悲しみ、さらにはその苦しみの原因を示して、真実の生き方を学ばせて仏への道を歩ませるように育むことです。これが本当のやさしさではないでしょうか。
先日、日本テレビ系列の「はじめてのおつかい」という番組を見ました。2~5歳児までの子供達が、はじめて親から頼まれたおつかいを行う様子を放映するものです。なかには途中で挫折して、おうちに帰ってきてしまう子がいたり、思い通りに買い物ができずに泣き出してしまう子がいたりしますが、どの子も大変苦労しながら、おつかいを成し遂げていました。私たちは、泣いている子を見ると、ついつい「もう充分頑張ったのだから、もういいよ」などと思ってしまいます。しかし、番組に登場する親達は皆、おつかいが成し遂げられるまで、決して子供達をあきらめさせません。おつかいを成し遂げてはじめて、我が子をしっかりと抱きとめて、ともに喜んであげているのです。
おつかいができる、つまり、社会性を身につけるためには、少々の苦労も必要であり、最後まであきらめないこころをもつことが大切であると我が子に気づかせ、育てているのだということでしょう。
他人の子が泣いていると、私たちはかわいそうにとは思いますが、その子が泣いている原因をじっくりと探り、その悲しさ、苦しみを乗りこえさせるために、あえて厳しく接するなど、なかなかできませんね。しかし、自分の子に対しては、時にそのようなことをしなくてはならないのだと考えることができるのではないでしょうか。その子がおつかいができるなどの、社会性を身につけてほしいという思いから、子の悲しさ、苦しみに共感しながらも、厳しく育てようという心をもつことができるのだと思います。
番組ではいつも、おつかいを成し遂げた我が子を抱きしめ、「つらかったけど、よく頑張ったね」と一緒に喜びの涙を流す親のすがたも映しだされています。人を育てることは大変難しいことですが、ここに1つのヒントが隠されているように思います。
本学では、教育学部や短期大学部の幼児教育学科、生活学科養護教諭専攻の学生さんたちが、子供達を育てる職業につくことを目指して頑張っていますね。皆さんは教育実習などを経験して、子供達を厳しく指導したことがありますか?
授業中に騒がしくして、他の子に迷惑をかけている子、けんかをして、他の子をたたいてしまった子、いろいろな子供達がいますね。「どうして、そんなことをするの?」と尋ねてみたら、「だって、B君も騒いでいるよ。先生はどうして僕だけ叱るの?」、「だって、C君が先に、僕をたたいたんだよ」などと、自分のした行動を反省することなく、言い訳ばかりに終始する子がいませんでしたか?また、多くの子供達を相手にする時、なかなか全ての子供達に目を配ることはできなかったのではないでしょうか?
先生は、そうした子供達1人1人のこころに共感し、その原因を探り、授業中に騒いでいると、授業がわからなくなってしまうこと、他の子をたたくという行為は、大切な友だちの命を粗末にすることなのだということなどをしっかりと伝える必要があるのではないでしょうか?
このようなことを書いている私も、大学の教員です。授業中に居眠りをしたり、私語をしている学生、隠れてスマホで遊んでいる学生さんに対して、同じことをしなくてはいけませんね。なぜなら、本学の授業は、採用試験に必要な知識を最も効率よく身につけさせるために、各先生方がさまざまな工夫を重ねた成果なのですから。それを聞かないことは大きな時間のロスにつながるのです。
また、皆さんの中にも、先生に叱られると、「どうして私だけ、叱られるの?あの先生はえこひいきをしている」と思っている方がいるかもしれません。こっそりとスマホで遊んでいる学生さんは、上手に隠れて遊んでいますね。でも、そのような学生さんの試験の成績はあまりよくありません。そうしたことは、今まで先生方からよく聞かされてきたのではないでしょうか?
皆さんはどのような先生になりたいですか?
先生も、学生も、子供達も、皆が仏の本当のやさしさを目指して、自身の行動を見つめ直すことができるといいなと思います。