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第40号 平成25年10・11月発行

「おもてなしとお接待」

蜷川祥美

 2013年9月9日(月)、2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定しました。当日のテレビで、決定前の最終プレゼンテーションでの滝川クリステルさんの「東京は皆さんをユニークにお迎えします。日本語で『おもてなし』と表現します。それは訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります」という発言と合掌・礼拝をするすがたを繰り返し放映していました。

 オリンピックが開催されると、世界中から多くのアスリートや観光客が日本を訪れることになるでしょう。私たちは多くの旅人と接することになるのです。

 もう10年以上前のことになりますが、日本人15、6名でパキスタンの仏教遺跡を訪れたことがあります。道路も整備されていない山道を歩く途中、小さな集落で1人の男性が私たちに声をかけてきました。「あなたたちはどこからいらっしゃったのですか?」。「日本からです」。そう答えると、その男性は、「イスラムには旅人をもてなせという教えがあります。あなた方をもてなしたいから、ぜひ私の自宅に来てほしい。そうしてくれると私もうれしいのです」とおっしゃいました。険しい山道を歩いてきた私たちは、その言葉に甘えて、彼の自宅で休憩させていただくことにしました。彼は、自宅で私たちにお茶とお菓子をふるまってくれ、家族全員を紹介した後に、「もし、時間があるのなら、ぜひ夕ご飯を食べて、泊まっていかないか」とも勧めてくれました。仏教遺跡を訪れる途中であった私たちは、事情を説明し丁重にお断りしましたが、彼の「おもてなし」に大層感激したのです。イスラム教徒やキリスト教徒にも、ともに旅人をもてなす文化があるのです。

 日本でも、四国八十八ヶ所霊場巡りのお遍路さんに対して、地元の方々が、「お茶をどうぞ」と招いてくださったり、「接待所」と呼ばれる休憩所を開放されたり、「善根宿」という宿泊所を提供されていることはよく知られています。こうした行いを「お接待」というのだそうです。

 また、寺院や一般の方の家の門口に湯茶を備えて、行脚僧や往来人に施与する「接待茶」という習慣も知られています。

 中村元著『佛教語大辞典』では、「接待」について、「①賓客を厚くもてなすこと。客を応援し、もてなすこと。②転じて施す、ふるまうの意」と解説しています。また、『岩波仏教辞典』には、「禅院においては一期一会の出会いの大切さを学ぶところから重要なつとめとされている」とあります。旅人に出会ったら、その大切さに気づいて、施しを行うことが、仏道修行の一環であるということでしょう。

 施しを、仏教用語で「布施」といいます。『岩波仏教辞典』では、「出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物その他を施し与えること、衣食などの物資を与える(財施)、教えを説き与える(法施)、怖れをとり除いてやる(無畏施)を(三施)という。大乗仏教では、菩薩が行うべき六つの実践徳目(六波羅蜜)の一つとされ、施す者も、施される者も、施物も本来的に空であるとして、執着の心を離れてなされるべきものとされた」と解説しています。私たち人間も含めて、この世のすべてのものはお互いに関わり合うなかで変化し続けながら存在しているのだという空の教えを学べば、すべてのものは決して誰かの所有物ではないのです。また、財産などを自分一人のものと思い込む心、すなわち執着の心は、それらが壊れ失われる時に大きな苦しみを生み出すので、離れるべきだというのです。

 執着を離れた心は、喜びの心となるといいます。釈尊が、私たちに阿弥陀仏の教えを信じるように勧めてくださる『仏説無量寿経』には、教えを説く釈尊のすがたを「喜びにみちあふれ」(『浄土三部経 現代語版』)ていらっしゃると表現しており、釈尊が「教えを聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそわたしの善き友である」(同上)とおっしゃったと伝えています。そして、経の末尾は、「そこに集うその他すべてのものは、その尊い教えを承って、だれひとりとして心から喜ばないものはなかった」(同上)と結ばれています。これは、釈尊が法施をなさる際、自らも喜び、他者にも喜びを与えられたことを示しているのです。

 これは、旅人をもてなし、接待をするという財施・無畏施についても、執着の心を離れ、旅人に喜びを与えることであると同時に自らの喜びを生み出す行いとなるならば、仏道を歩むものにとって理想、すなわち仏の心を学ぶことにつながるのです。

 ちなみに、合掌・礼拝は、もともとはインドの習慣で、相手のいのちの尊さに敬意を表する行いです。こうした作法は、仏教の伝来とともに日本にも伝わってきました。仏教文化の花開いた日本で、ともに喜びあふれるオリンピックを目指したいものです。