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第42号 平成26年6月発行

浄土真宗の仏道と三悪道

河智 義邦

舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国土には三悪趣なければなり。舎利弗、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし、いかにいはんや実あらんや。このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。

 

 これは世界でもっともよく読まれているお経の一つ『仏説阿弥陀経』の一文です。阿弥陀様がまします浄土には、地獄・餓鬼・畜生の三悪道が無いことが説かれています。そのこころを数回にわたって味わってみたいと思います。

 地獄とは地下にある牢獄といった意で、苦しみのきわまった世界のことで、そこでは筆舌に尽くせない苦しみを受けるとされます。餓鬼とは常に飢え・渇き・苦しみに悩まされる世界を、畜生とは人や天以外の動物のことですが、これには力のある者に畜(やしな)われ自立できない存在という意と、本能のままに生きる存在といった意が含まれています。

 そして、その世界には「三毒の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)」に生きた者が生まれていくとされます。煩悩とは欲望全般というよりも、自己中心の考え方や自身への愛執から起こり、身心を悩ませて正しい判断を妨げ、苦を引き起こす心の働きのことをいいます。それは自身の苦を引き起こすものであると共に、他者に苦を与える原因ともなるものです。三悪道とはそうした煩悩によって作り出される生き方・世界のことといえるでしょう。

 「貪欲」とは、自己の欲したものを、次から次へと求める心のことで、金品や財産、地位や名誉、権力、さらには愛欲の対象になる人や自己の命などについて、足ることを知らず果てしなく求め、所有しようとする欲望のことを指します。少欲知足というブレーキを持てない人は、常に不平不満の生活を送り餓鬼道を歩んでいるのです。さらには所有するための争いも起こします。歴史の中で地獄の様相が繰り広げられてきました。

 新聞の番組欄で、「大食い早食い」といった言葉を見ると、この世界にはそんなにも食べものが余っているのかと考えてしまいます。視聴して喜んでいる人は、間接的に多くの人々の幸せを阻害し、苦しみを与えているとは言えないでしょうか。

 「瞋恚」とは、怒りや嫉み、憎む心をいいます。自分の思い、心にたがうものを怒り、うらみ、排除しようとすることをいいます。どんなに諸科学が発達し、世の中の在りようが変わっても、生活の基本は人と人が、自己と他者とが関わることで成り立っていることには変わりはありません。冷静に事態の因果を考えられず、自分は正しく他が間違っているととらわれ、腹を立て、憎み、当たり散らす。日常の家庭生活や地域、職場のレベルで、はては国家間レベルで、自是他非の心は相手に悩みや憂いを与え、苦しめ、争いを引き起こしています。そこに地獄が作り出されているのです。           <続>