御命日法要
12日木曜日のレビュータイム。講堂で御命日法要が行われました。心支援部教員から、静岡県浜松市や滋賀県大津市で起きた、いじめ・自殺の事件についてお話がありました。いじめ・・・そして自殺。大変痛ましい出来事ですね。こんなことで自殺なんか考えるはずがない・・・と思っているのはいじめる側の論理で、いじめられる側の心の傷は、実はいじめる側の推測を大きく上回っているのが一般的なんですね。その時にはなかなか気づけないことなんですけど。ところで、いじめる側がなぜいじめるのか、いじめられる側はなぜいじめられるのか・・・という問い掛けをする前に、もっと大切なことを日頃から考えておく必要があります。それは「自分が生きているように、周囲の人たちもみんな生きている。笑ったり、悩んだり、悲しんだりしながら、それでもみんな限られた命の中で懸命に生きている。」ということです。いじめに加担している時には、この当たり前の認識がすっぽりと抜け落ちてしまったんですね。毎月の御命日法要では、慈悲の心、生かされていることへの感謝の気持ちについて、いつもお話をさせていただいています。言い方をかえれば、毎月毎月、当たり前のお話をさせていただいているわけです。けれども、当たり前のことの中に、実はすごく大切なことが潜んでいるんですね。当たり前を積み重ねることでしか得られないもの。附属中学のみなさんには、そんなものを3年間かけてガッチリと身につけ巣立って欲しいと思います。写真3枚目は、その直後に行われた情報安全講話。岐阜聖徳学園大学の石原先生より、ブログ・プロフの利便性に隠れたリスクについて、解りやすくお話をしていただきました。