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第11号 平成20年2月発行

「・・・ということで、勇気、勇悍(勇敢)さと仏教と(^o^)」

城福 雅伸

親切心を持ちましょう、また親切しましょうということを述べて参りました。しかし親切にするということは、勇気、勇悍(勇敢)さが必要であるということも述べました。
「勇悍さ?それがなんで仏教の話にかかわるねん(^っ^;)」と思われたあなた!ええ疑問でおます。
しかし、勇敢さは、ほんとうは仏教で非常に重要なのです。 「勤というのは精進の心である。精進の心は善を行い、悪を断つ行為において、勇悍であることをその本質的な働きとし、懈怠を対治し、善を満たすことをもっ て二次的な働きとする」 これは『成唯識論』という高名な仏教の哲学書の一節です。
「勤というのは精進である」というのは、勤と精進は同じことですよ、という意味です。
「精進」というのは現代で言う努力のことです。これだけわかれば意味はおおよそ理解できましょう。
要するに、善を行い、悪を止めようという努力の本質とは何か?それは勇悍なことだ、勇気があることだ、というのです。
また「懈怠を対治し」とあるのは、「う~ん。ま、分かっているんだけど、出来ないなぁ」(^っ^;)という気持ち(懈怠)や悪にいそしんでしまう心(懈怠)を、この精進、つまり努力が対治するという意味です。
対治というのは、鬼退治の退治と同じ意味です。というよりも、鬼退治の退治はこの対治から来た言葉です。まさしく断つとか、破壊するとか、消滅させるという意味です。
つまり、精進の心が、怠け心を断ち消滅させて行くというのです。言い換えますと勇悍なこと、勇気こそが、怠け心を消滅させ、私たちに悪を断たしめ、善を行わせるというのです。
親切にすること、それはよいことです。しかし、よいことであるからといって、行いやすいわけではありません。むしろ色々難しい面があります。
特に皆が悪を行っている中で、自分は行わない、流されない、仲間はずれになるかもしれないけど…そういったことを乗り越えるのはすさまじいほどの勇悍さがいることです。
このように親切や善の実行を妨げている様々な要因を乗りこえ、善を実行させ悪を止めようとする心が精進という心であり、さらにその精神の核心とは何かと言えば、勇気あること、勇悍なことなのです。
努力家といえば地味なイメージがありますが、そうではなく、実は勇敢(勇悍)な人、勇気のある人なのです。同じく親切な人は勇気のある人、勇敢な人なのです。
勇敢さの無いところには善はあり得ないのです。
このように努力、精進、言い換えますと勇悍なこと、勇気は、善を行い、悪を断ち退けることを私たちにさせる心の働きです。そのため仏教のみならず一般社 会での重要性は大変なものがあります。みなさんが社会に出られたとき、始終振りまわさなくてもいいですが、上記のような勇敢なことを心の奥深くに秘めてい ただくと非常に嬉しく思います。
なお、悪に向かって努力する心の働きは懈怠(怠け心)といいます。精進はあくまで、よいことに対し努力し勇悍であることを言います。難しい理屈はあるの ですが、悪への努力は精進とは言わず、懈怠と名づけられることも知っておいていただくと、仏教の知識レベルでは、かなり「ぐー」です。宗教学の成績で言う とAでしょうか(^^;)
ではでは。