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第24号 平成22年2月・3月発行

「浄土の楽しみ」

蜷川 祥美

阿弥陀仏のこころがつくりだす世界のことを極楽浄土といいます。阿弥陀仏信仰をなさる方々にとって、目指すべき理想の世界です。
「極楽」とは平安時代の源信大師(940~1417)が『往生要集』で「快楽無退の楽」と説かれたように、常に限りのない楽しさが続く世界です。しかし、このような楽しさは、寿命に限りのある私たち人間の世界ではありえないことでしょう。
『往生要集』には、「私たち人間のこころがつくりだしている世界は、願いと現実が異なっており、楽しみにも常に苦しみがつきまとう。金持ちであろうと、 長寿であるとは限らず、長寿のものが必ずしも金持ちではない。昨日金持ちであっても、今日は貧しくなり、朝生まれて夕方に死ぬことさえある」(意訳)と述 べられています。多くの人々が望む金銭的な豊かさや、健康や長寿の獲得から得られる楽しみは、決して永遠に続くものではなく、無くしたときに苦しみを生み 出すものともいえましょう。
極楽浄土の「快楽無退の楽」について『往生要集』には、「阿弥陀仏の極楽浄土では、楽しみに限りがないのである。人と天人が互いに交際することができる のである。心の中には慈悲が満ちあふれ、相手を自分の1人子のように慈しむのである。(中略)または、あらゆる仏たちの救いの手立てについて話し合った り、衆生の苦しみを取り除く方法について相談したりもできる」(意訳)とあります。同じ世界に住む方々と楽しく交際ができ、お互いが相手を慈しみあうこと ができ、あらゆる命あるもの(衆生)を救う方法を学ぶことができることが楽しみであり、それが常に続くのだというのです。
私たち人間の世界でも、お互いが自己主張ばかりを繰り返してけんかの絶えない家族より、お互いが相手のことを心配しあって助けあうことのできる家族がし あわせであることはいうまでもないでしょう。また、皆さんがこれから就職して行う仕事とは、「相手に仕えること」という意味をもつように、その目的は周囲 の方々をしあわせにすることであり、その実現こそ、自らのしあわせにつながるのではないでしょうか。
極楽浄土とは、あらゆる命あるものを分け隔てせずに慈しみ、救うという変わらぬ理想が実現し、仏と成ることがかなう世界なのです。
こうしたこころを学ぶことは、私たちが本当に目指すべき生き方が、自分の利益のみを追い求めることではなく、他者の救いを真っ先に考えることにあり、それこそ時代がどのように変化しようとも変わらない楽しみとなるのだと気づかされるのです。
本学の建学の精神を示す1つの標語「利他」はこうした精神を表現しています。