第25号 平成22年4月・5月発行
「現代のウサギとカメ」
譲 西賢
4年に1度の冬季オリンピック、バンクーバー大会はパラリンピックも含めて終了しました。私は、今回のオリンピックを通して、人間の心を再確認させてもら いました。オリンピックですから、日本選手がメダルとりわけ金メダルを獲得してくれたら嬉しいのは、日本人なら当然のことです。「参加することに意義があ る」といわれるオリンピックの精神は、結果よりもその努力を讃えることに重きがあるもかも知れません。ところが、優勝劣敗の本性に取りつかれた私は、ゾッ とする本音で競技を見ていました。
たとえば、女子のフィギアスケートでは、浅田真央選手のライバルが演技しているときには、ジャンプするたびに「ころべ。失敗しろ」の思いが消えませんで した。「ライバルが落伍してでも勝てればいい」の本音を自分のなかにイヤと言うほど思い知らされました。昔話『ウサギとカメ』のカメになれと、幼い頃か ら、私たち日本人は教えられてきました。「たとえ能力は劣っていても地道に努力すれば、勝利することができる」と、指導者の側から好都合な生徒がカメだっ たのではないでしょうか。油断して居眠りして破れたウサギは非難され、勝利にこだわったカメは絶賛されるのです。
でも、ひろさちや氏が指摘しておられるように、勝利にこだわって努力するカメでいいのでしょうか。カメは、居眠りしているウサギをどんな気持ちで追い越 したのでしょうか。「これで、勝てるラッキー」が、本音ではなかったでしょうか。ライバルの落伍をラッキーと思うのですから、カメは当然、抜き足・差し足 でソッとウサギの傍を通り過ぎたに違いありません。もしも、ウサギが心筋梗塞や新型インフルエンザで倒れていても、声かけることなく、救急車を呼ぶことも なく、一目散に通り過ぎたに違いないのです。そのカメになれと、日本人は教えられてきたのです。浅田真央選手のライバルに「ころべ。失敗しろ」は、典型的 な日本人の応援だったのかも知れません。優勝劣敗は人間の本性で、その実現に向けて努力や忍耐もできますが、悲しいことに、勝利にこだわるこのカメを良し とする本性を私たちは、生涯手放すことはできないのです。
派遣切りの非情さが叫ばれて久しいですが、その悲惨さが伝われば伝わるほど、内心では「だから私は勝ち組にならないといけない」と、カメになることを目 標に掲げざるを得ないのが、日本の実情ではないでしょうか。人間の本性に支配され、その思い充足をめざした生き方には、むなしさしかないのです。曇鸞大師 の「利他によるが故に即ちよく自利す。是れ利他するに能わずしてよく自利するには非ずと知るべし(『浄土論註』)」のお諭しが心にしみます。相手を生かす ことがなければ、自分が本当にすくわれることはないと諭しておられます。私たちは、自分の思い充足をめざして「自分の心がけと努力こそ間違いない」と思い 上がる自分を消し去ることはできませんから、如来というはたらきによって、自分のこの思い上がりの危なさを自覚するしかないとうなずかせていただくので す。