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第13号 平成20年4・5月発行

「仏教文化研究所法話 「生死一如」」

譲 西賢

今年3月9日日曜日、北京オリンピックの予選を兼ねた名古屋女子マラソンが開催されました。注目はなんといっても、シドニーオリンピックの金メダリストで 前回のアテネオリンピックに出場できなかった高橋尚子選手の走りでした。序盤の10キロ手前から遅れ始めた高橋選手は、彼女のベスト記録よりも約25分遅 れて、20位以内にも入れない惨敗といえる結果でした。それでも彼女は、途中棄権することなく、笑顔でゴールし、記者会見にも笑顔で応じていました。翌日 のオリンピック派遣選手の発表では、当然のことながら、彼女は選考から洩れました。
その後、「シドニーオリンピックで金メダルを獲得したときに引退しておけば、かっこよかったのに」と、引退のタイミングを逃したと言わんばかりの声も聞 こえてきました。確かに、トリノオリンピックの女子フィギュアースケートで金メダルを獲得して、すぐに引退した荒川静香選手をかっこいいという声も聞きま した。皆さんはどのように思われましたか。
私は、今回惨敗の高橋尚子選手が、大きく遅れながらも完走し、笑顔でゴールしたことに心からエールを送りたいと思います。その後の会見で、昨年8月に膝 の半月板の手術を受けていたことを告白し、彼女は勝てないこと覚悟の上で参加していたことが明らかになりました。余力を残して世界NO1のままで引退する より、限界まで力を尽くし、負けを味わってからの引退の方がいのちの真実に見合っていると思います。誕生後の人生は、伸び盛りの時期と横ばいの時期と下り 坂の時期があって、やがて死んで逝きます。そのすべてがいのちなのです。マラソンで金メダルを獲得した選手もやがて衰えるのが真実です。マラソンに限ら ず、スキージャンプの舟木選手、サッカーの三浦選手、野球の清原選手や先日引退を発表した桑田投手なども、いのちの真実を示してスポーツの感動を与えてく れます。高橋尚子選手は、いつも世界のトップの走りをしなければならないというのは、ファンの身勝手な想いです。トップの選手だから応援するというのは、 選手その人ではなく、結果だけを求めることであり、没個性のいのちの所有という怖い価値観ではないでしょうか。勝てないのなら走っても仕方ないと考えるの ではなく、今、現在の高橋尚子さんが精一杯走ったのです。
仏教では、いのちの真実を生死(しょうじ)一如(いちにょ)と説明されます。明治の先覚者清沢(きよざわ)満之(まんし)先生は、「生のみが我らにあら ず、死もまた我らなり。我らは、生死を並有するものなり」と述べておられます。自分の想いにおいて都合よきことだけが、自分のいのちではなく、都合悪きこ ともあって自分のいのちは成り立つのです。自分の想いに縛られると、都合よきことしか受け入れられなくなる私たちです。そして、想いや条件を満たす状態し か受容できなくなり、自己否定に苦しむことになります。高橋尚子選手の今回の完走は、私たちの生き方・人生観を見直させてくれたのではないでしょうか。