岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

岐阜新聞 真学塾 外国語学部⑮ 横久保義洋  

郷土のこころに触れて-漢詩のすすめ

岐阜聖徳学園大学外国語学部准教授 横久保義洋

 よく晴れた秋の日􅪔皆さんが散歩をしていると神社やお寺の片隅などに苔むした石碑が立っているのを見かけることがあるでしょう。その中には仮名混じりのもあるでしょうが漢字ばかりのものも結構多いかと思います。

 また、ご自宅の床の間に掛かっている水墨画にも、漢詩のようなものが記されているのに気がつかれた人もいるかも知れません。

 これらの中には中国人が書いたものもあるでしょうが、大部分は日本の先人の手になるものです。私たちの先祖は本来は外国のものである筈の漢字漢文を用いて自らの思想や感情を自在に表現してきました。皆さんも江馬細香とか梁川星巌とかの名前は聞いたことがあるかと思いますがそれだけでなく、この岐阜県では江戸後期から明治大正にかけて海外にまで名を轟かせるような沢山のすぐれた漢詩人を輩出しており、その残り香は昭和後期、そして現代にまで伝わっているのです。

 大学の授業では中国の人の作った詩とともに、日本の漢詩もあわせて読んでいます。その中でもとりわけ美濃・飛騨の自然や人々の生き方に関わる詩の中からは、故郷のすでに喪われてしまった風景だけでなく、今と変わらぬ人のこころ、歴史に寄せる思いなどに触れることができるでしょう。

 皆さんの中にはこう言う人もいるかも知れません。「漢詩なんて古臭いものをやっても意味がない」「現代生活と何の関わりがあるのか」と。そうではありません。確かに漢詩漢文は一見とっつきにくく見えますが、かつては「筆談」という形による国際共通語として外国の人々との交流のためのツールでもあり、その過程で蓄えられた異文化理解の智慧は現在に生きる私たちにとっても色々と参考になるところが多いでしょう。そして先人の思想感情の凝縮である詩を吟詠することは、深い感動を伴いつつこの変転やむことなき世界において、岐阜人として、日本人としての生き方とは何かをあらためて自らに問いかけるきっかけともなるのです。

 皆さんも鑑賞ばかりでなく、実作への試みも含め、漢詩に取り組んでみませんか。(2021.2.14岐阜新聞掲載)

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