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法話 第61号 令和元年2月・3月発行

仏法領の物

河智義邦

 ご存じの方も多いと思いますが、蓮如上人(1415年~1499年)は本願寺第8世の宗主であり、浄土真宗本願寺の中興の祖であり、現在の浄土真宗の礎を築いた方であります。その蓮如上人のご教化に大きな役割を果たしたのが、『御文章』(『御文』)です。『御文章』は上人が各地の御門徒にあてて出されたお手紙のことを言います。親鸞聖人の教えを仮名交じりでかみ砕いて書かれた『御文章』は「凡夫往生の手鏡」といわれます。これは、私たちの救い(仏に成る道)について、大切な要はすべて書いてあるから、手鏡のように常に手元に置いて読みなさいよ、ということです。ですから、朝晩の勤行で親鸞聖人の『正信偈』とともに拝読されてきました。『御文章』は、人から人へ次々に書写され、親鸞聖人のみ教えが全国に普及していきました。
 その『御文章』とは別に、上人の語録というべきものが残されています。『蓮如上人御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』です。上人の仰ったことを書き集めたもので、上人の求道の姿勢とその生活が主に書かれています。その中に「仏法領(ぶっぽうりょう。仏の教えによって治められる理想の国)」ということについて語られた文章があります。

あるとき、上人は、廊下に落ちていた紙切れを見て「仏法領の物をあだにするかや」といい、両手でひろって「仏物」とも「御用」とも思い、一片の紙きれであっても与えられた物として、無駄にしてはならぬとされました。(取意)

 「仏物」とは、仏様の物。「御用」とは、御はたらき、如来・聖人の御はたらきの意味であります。また、こんな言葉も残っています。大工の作業場にて、どんなに小さな木の切れ端も、取っておかれようとなされている時に「かやうなふ心なり」、といかなる物も仏様から頂いた大事な物であり、だからこそ冥加、すなわち仏様のおかげを思い、大事にせねばならないとされました。
 真宗門徒の生活習慣を振り返ってみますと、以前は何でも仏様、お内仏にまずお供えをしていたのではないでしょうか。人から頂いた物、自ら作った物、手に入れた物と、どのような物でも仏様の前に一度持って行った、そしてそれらの物は「おさがり」としてあらためて頂いた、そこには物に対する大事な意味がこめられていたのでしょう。今はどうでしょうか。上人がどのようなことも、「御用」にもれることはないのである、とされるのは、私たちがどのように物と関わるべきかといった基本的な姿勢を示されています。
 衣・食・住すべてはこれ「仏物」あり、従ってそれはあくまで、私たちに与えられている物であり、けして自分勝手に物を消費してはならないと、そうである限りは無駄になってしまうと、上人は語られているのではないでしょうか。これは例えば、現在、社会問題となっている「食べ物の大量廃棄問題」に関わっていると言わざるを得ない私の生活を省みますと、胸に突き刺さる思いが致します。『御文章』の中でも、最も多く読まれてきた「聖人一流章」というお手紙には、

聖人(親鸞)一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。その位を一念発起入正定之聚とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし、御恩報尽の念仏とこころふべきなり。

とあります。私流に味わってみますと、

親鸞聖人がひらかれた浄土真宗のみ教えでは、信心(仏心に目覚めることが)が根本(最も大事)です。そのわけは、自力のはからい(自己中心に物事を考える、自己のモノサシ)を捨て、一心に阿弥陀如来に帰命(人間は絶対に間違えるぞと教えてくれる仏のモノサシを頂くようになる)すれば、思いも及ばないすぐれた本願のはたらきによって、如来が私たちの往生(生きる指針)を定めてくださるからです。往生が定まったその位を、「正定聚(しょうじょうじゅ)」と示されています。そしてその上の称名念仏は、如来が私の往生(人生に方向性を与えてくださる)を定めてくださったご恩を報じる念仏であると心得るべきです。

となります。浄土真宗では、お念仏申し、聴聞を重ね、阿弥陀さまの教えに親しくなっていくと、それまでの自分の内からは決して生まれなかった、いのちの真実への目ざめが促され、真実に生きる方向性が与えられ、念仏申す中に「私のモノサシ」を省みることができるようになります。