岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

法話 第58号 平成30年8月・平成30年9月発行

悲しみの味わい

河智義邦

 ちょうど5年前になりますが、2013年9月に俳優の石田太郎さんがお亡くなりになられたことをご存じの方も多いと思います。味のある名脇役で名優と言うべき方でありました。石田さんは刑事コロンボの声を演じるなど声優やナレーションなどでも活躍されていました。
 お亡くなりになったと言うよりも、ご往生されました、という表現の方が相応しいかも知れません。石田さんは俳優業を務めながらも、石川県金沢市の浄土真宗本願寺派寺院のご住職も務められ、お念仏のみ教えに深く生き抜いた方でもありました。
 その石田さんが、以前に住職となってから初めてドラマの中で住職役を演じられたときのことを振り返っておられる文章を拝見したことがあります。石田さんはドラマの中で大変に印象深いシーンとセリフに出遇ったことを書いておられました。
 それは、幼い子供さんがいるあるご家族がおられましたが、お母さん役の女性が急逝されたときに、その夫、つまり幼い子供さんから見ればお父さん役を演じた方と会話するシーンのことでした。石田さんは住職役として、夫役の方に対して、これは罰ではないよ、人間は必ず死ぬということを教えてくれてるんだよ、そのように夫役に語りかけられます。さらに、人間にはいつか死がやってくる。幼い子供に理解してくれと言っても難しいと思うけど、それを知って毎日を生きることは大事なことなんだと、そして、このつらさと向き合うことは無駄にはならないよ。自分や他人を大事に思うようになる、こういった言葉を住職役として語ったことを回顧しておられたのです。
 またご自身も、その前年に長年ともに人生を歩んでこられた奥様が急逝され、こうしたお別れを経験されていたこととその境遇を重ねずにはいられなかったのだと思います。特に石田さんは、その住職役の次のセリフに大変に思い入れをお持ちのようでした。それは、「悲しむだけ悲しんだらええ。考えるだけ考えたらええ。その時間は仏さんがわれわれに与えてくれはった時間なんや。なんぼつこうてもかまへん」というセリフです。
 私たちは限られたいのちの時間の中で、様々な人と出会い、その中には、愛する人、大切な人となっていく人とも出会っていくわけですが、「愛別離苦」という教えのとおり、その出会いはまた別れの苦しみとなっていくことも、真実と認めざるを得ません。そうした、深い悲しみ、苦悩を無くすことはできないと教えて下ったのがお釈迦さまであり親鸞聖人でありました。
 親鸞聖人は、御和讃の中で、「罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」と述べられて、氷が多ければ多いほど、たくさんの水ができるように、悲しみが多いにつけ、その喜びもまた多くなるものだと明かされています。罪障とは法律的倫理的悪のことではなく、おさとりの身となって、自ら苦を克服できない身であるという意味です。氷が溶けるには光や熱が必要です。そのような凡夫の身にある私たちにとっては、阿弥陀さまの光に出遇わせていただき、その光に照らされ暖められて、悲しみ、苦しみの氷を溶かせていただくのです。石田さんの「悲しむだけ悲しんだらええ。考えるだけ考えたらええ。その時間は仏さんがわれわれに与えてくれはった時間なんや。なんぼつこうてもかまへん」のセリフは、私たちが悲しみを受容するには時間が必要で、また無量寿のはたらきをもつ阿弥陀さまに合掌し、お勤めをする、そうして向き合う時間を重ねる中で、しだいに悲しみを受容することができ、悲しみの味わいが変化していく、転ぜられていく世界があることを教えてくださっているセリフではないかと思います。
 私が住職を務める寺のあるご門徒さんが不意の事故で、その年の夏に86歳でご往生されました。前日まで元気であった夫を、父を、祖父を、そして曾祖父を失われたその時、ご家族の経験された別れの悲歎は計り知ることのできないものでありました。しかしながら、満中陰法要の会食の席では、その方の人生を偲ぶDVDをお孫さんが製作され、明るい音楽にのせて、みんなの前で披露してくださいました。出席されたご家族、ご親戚の方が、笑顔でその方とともに歩んだ時間を懐かしく振り返っておられました。
 悲しみ深くつらい別れというのは、見方を変えると、それだけ、その方と深くお付き合いさせて来ていただいた証しであろうといえます。阿弥陀さまと向き合う中で、限られた人生の中で、まさに深いいのちの付き合いをさせてもらったことへの喜びへと悲しみが転ぜられていく世界をいただかれたのだと思います。「渋柿の渋のままが甘みかな」。渋が甘みに転ぜられていくのには光と時間が必要なのです。