岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

法話 第64号 令和元年8月・9月発行

「バーチャルウォーター」

河智 義邦

 同じ仏教の教えを頂く日本の各宗派の中でも、本学がとくに拠り所としている浄土真宗は、他の宗派と異なる点があります。それは、教えを伝える者(真宗僧侶)も含めて、在俗の生活の中で、仏教の真実を求め生きていくことを重視するというものです。それは、何気ない日頃の日暮らしの中において、仏教の真実を味わい、確認するというものと言えるでしょう。その何気ないものの代表として、私たちが普段当たり前のように使っている「水」に考えてみましょう。

 以前に、テレビで環境問題に関する特集番組をしていました。その中で、仮想水=バーチャルウオーターという言葉が流れていました。それは私が初めて聞いた言葉でした。日本は多くの農産物や工業製品を外国から輸入していますが、こうした農作物や工業製品の生産にあたってはその生産国において多くの水が必要とされ費やされます。それは、言い換えれば、日本は食料や工業製品という形で、間接的に多くの水を輸入していることになります。このような食料や工業製品の生産にに費やされた水をバーチャルウオーター、仮想水、あるいは間接水というそうです。それによると、例えばハンバーガー一個には1000リットル、ラーメン一杯には2000リットルの水が間接的に費やされたことになるそうです。以前は作って10分くらいのハンバーガーを商品にならないという理由で捨ててたファーストフードチェーン店もあったそうですが、そういう数字を知ると考えさせられます。いくら利潤追求のためとはいえ、ある程度の自制はあっていいかと思います。それは消費者である私たち一人一人にも言えることと思いました。そういう状況を支えていたのは他ならぬ私たち消費者だからです。

 家庭で使用する何リットル、何十リットルという水はペットボトル何本分と聞き、想像することはできますが、例えば輸入している食料だけをとってみても、食料という形で輸入しているバーチャルウオーターの量は、年間約1035億トンになり、これは琵琶湖の貯水量の3倍になるそうです。

 日本はこうした形で大量の水を海外に依存して輸入していることによって、そのほかに私たちが日常生活で使う水を確保できているのです。もしも輸入分を国内の水源で賄うとしたら、一日に使える水は一人当たり、若干の計算の相違は有るみたいですが、一人30~50リットルになるそうです。これは、トイレにつ使う水が一回だいたい10リットルになるので、トイレに3回、そしてシャワー1回分ほどにしかならないそうです。他には使えないのです。

 この話を聞き、身近な問題で、そして今そこにある地球規模の大きな問題に、地球上の一生存者として、そして念仏の教えに縁をいただいた仏教徒として、どのように向き合っていけば、関わっていけばいいのかと考えさせられました。

 いぜん聞いたお話の中で、『仏遺教経(ぶつゆいきょうきょう)』の言葉を紹介されたのですが、その言葉を思い返しました。これはお釈迦様の遺言を編纂した経典とい言われているものです。その中に「様々な飲み物、食べ物を受けたときには、薬を服するように、大切に頂かなければならない。味が良いといって量を多くし、まずいといって減らす事があってはならない。わずかに身体(からだ)を養うだけの量を摂り、それで飢えや乾きを満たすが良い」という言葉が出てきます。浄土真宗の正依の経典である『無量寿経』(『大経』)にも「少欲知足」という言葉が説かれています。欲を減らして足るところを知りなさいとのお諭しの言葉です。私が幼い頃に家庭で使っていた食前の言葉には「我いま幸いに仏祖の恩恵により、この麗しき食を受く、謹んで食の来由(食べ物が食卓にまで来たルーツ)を尋ねて、味の濃淡を問わじ、・・・品の多少を選ばず」などと唱えていたことを思い出しました。

 しかし少欲知足、と言葉には簡単に出来ますが、親鸞聖人が「無明煩悩われらが身に充ち満ちて・・・・臨終の一念までとどまらず、消えず、絶えることのない」と仰っているように、私の現実は、モノが豊富にあり、あれも欲しい、これもしたいと欲が絶えることはありません。先ほどのお釈迦様のお悟りの言葉と心を、「南無阿弥陀仏」の六字に凝縮して、真実からのメッセージと受けとめ、これを称え、お念仏させて頂く中に聞き続けていくことを通して、少しでも少欲知足を実践していかねばと思います。在俗生活の中に仏教の教えを頂くことの一端を考えさせていただきました。