岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

岐阜新聞真学塾 短期大学部⑩ 木許隆

「子どもの歌」の歴史

岐阜聖徳学園大学短期大学部 准教授  木許 隆

 現在、日本でうたわれている「子どもの歌」は、いつ頃からつくられたのでしょうか。

 江戸時代以前の子どもは、「わらべうた」をうたって遊んでいました。「わらべうた」には、「あそびうた」や「てまりうた」、「こもりうた」などが含まれています。そして、地域や子どもの間でうたい継がれ伝わってきました。

 1868年に明治維新をむかえた日本は、1871年に学術、教育を担当する官庁として「文部省」を設置しました。また、1879年に西洋音楽や音楽教育を調査する機関として「音楽取調掛」を開設しました。そして、アメリカの音楽教育家L.W.メーソン(1818 - 1896)を招聘し、西洋音楽の移入を行いました。

 L.W.メーソンの指導を受けた伊澤修二(1851 - 1917)らは、子どもがうたえる歌をつくりたいと考え、まず、外国の楽曲に日本人が詩を付けた「唱歌」をつくりました。その中に、ドイツ民謡「Hänschen klein」のメロディに、国学者の野村秋足(1819 - 1902)が詩を付けた「ちょうちょう」や、スコットランド民謡「Auld Lang Syne」のメロディに、国学者の稲垣千穎(1845 - 1913)が詩を付けた「蛍の光」などがあります。

 大正時代になり「童謡運動」が始まり、児童雑誌「赤い鳥(1918)」や「金の船(1919)」が発行されました。そして、雑誌に掲載された詩(童謡)にメロディが付けられ、「童謡」がつくられました。その中に、「からたちの花(北原白秋・詩/山田耕筰・曲)」や「七つの子(野口雨情・詩/本居長世・曲)」などがあります。

 昭和時代になり第二次世界大戦が終わると、「童謡」に代わる「新しい子どもの歌」がつくられるようになりました。そして、1961年にNHKの「みんなのうた」が始まり、日本テレビの「おはよう!こどもショー」やフジテレビの「ママとあそぼう!ピンポンパン」など、子どものためのテレビ番組で「子どもの歌」が紹介されるようになりました。

 このような歴史をたどって、「子どもの歌」は、私たちの生活の中に根づいたものとなりました。あなたは、どんなジャンルの音楽が好きですか。(2022年4月17日岐阜新聞掲載)