岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

岐阜新聞真学塾 短期大学部⑬ 蜷川祥美

天国、黄泉、浄土

岐阜聖徳学園大学短期大学部教授 蜷川祥美

 近年、お亡くなりになった方に対して、「天国に行かれたのよ」などとおっしゃる方が増えたように思います。死後の世界を「天国」と表現しているのだと思います。お寺(仏教の施設)で行われるお葬式でも、「天国」という表現を使う方も多くなりました。

 『広辞苑』第6版には、「天国」について「①神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所をいう。天堂。神の国。転じて、苦難のない楽園」と記載されています。日本語としての「天国」の本来の意味はキリスト教の神の国のことを指しているようです。

 これは、日本人の中にキリスト教信者が多いことを意味しているのでしょうか?

文化庁『宗教年鑑』令和2年版によれば、日本の各宗教の信者数は、神道系が約8896万人(48.6%)、仏教系が約8484万人(46.3%)、キリスト教系が約191万人(1.0%)、諸教(神道系・仏教系・キリスト教系以外であるもの)が約740万人(4.0%)、合計約1億8311万人です。合計すれば日本の総人口(約1億2600万人)のおよそ1.5倍にあたるそうです。上記のデータは、各宗教の信者数を単純に合計したものですが、日本人の中に、キリスト教信者が多いとは決して言えません。

 ちなみに、日本古来の民族宗教である神道では、お亡くなりになった方について、「黄泉の国に逝かれた」などと表現する場合があります。『広辞苑』第6版には、「黄泉」について、「①地下の泉。 ②死者の行く所。よみ。よみじ。冥土。九泉」と記載されています。

 また、仏教では、「浄土に往生なさった」と表現することが多いように思います。『広辞苑』第6版には、「浄土」について、「①五濁・悪道のない仏・菩薩の住する国。十方に諸仏の浄土があるとされるが、特に、西方浄土往生の思想が盛んになると、阿弥陀の西方浄土を指すようになった。浄刹」と記載されています。

 「天国」、「黄泉」、「浄土」は、それぞれ異なった宗教の思想から生まれた言葉なのです。キリスト教では、神は唯一の存在ですので、人が亡くなった後に天国に生まれても神に成ることができません。神道では、黄泉は神々の世界ではありません。仏教では、浄土に往生した人は、仏と成って人々を救うことができると説かれています。

 それぞれの宗教の儀式として行われるお葬式においては、その宗教にふさわしい表現を用いるべきではないでしょうか?(2022年5月8日岐阜新聞掲載)