岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

法話 92号 4月・5月 発行

震災と忍辱

城福雅伸

 能登半島の大地震は大変な被害が出ており心よりお見舞い申し上げます。

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 さて、筆者は、阪神淡路大震災(以下阪神大震災)の時、丁度大阪にいました。

 震災当日、NHKのテレビは「地震があった」という報道のみで、コンビニでシャンプーなど数本が倒れている映像のみであり、神戸の記者も妙に落ち着いており、震災などなかったかのように雑談ばかりで、なかなか本題に入らず、「一人では動かせない本棚が動いた」というのがすべてでありました。キャスタ-も「ああそうですか」で終わり、総まとめとして「大阪では被害もないようです」と興味なさげに終わりました。社内の影像もたいしたことのないもので、大阪震度5、京都震度4、神戸震度6という報道がでていました。

 一方、ほぼ同時刻での関西の民放は、かなり大きな震災であると報道し、放送局の天井が落ちてきている影像も流され、神戸では火災が起き、大阪でも3ケ所で火災が起きている、大変なことが起きている、阪神高速が倒れているらしいとキャスターも顔をこわばらせ悲愴な表情で放送し、電話をかけるのを自粛してほしい、車で乗り入れるのは自粛して欲しい等々震災の対応が次々に述べられていました。

 夜が明け、現地の状況が知られるについて大変なことが起きていることがわかりました。

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 そのような状況の時、一般の方や学生さんが多数集まり、荷物を運んだり、救済活動に邁進され、ためにこの年がボランティア元年といわているそうです。

 日本人の助け合いの心が衰えてきたといわれることもありますが、そうではないと実感できるものでした。

 被災された方々も、静かに救援を待ち、助け合いながら苦難の生活をされていました。

 阪神大震災当時、アメリカは「日本は建物は倒れないといっていたのではないか」と疑問をなげかけながらも、救援をしようと呼びかけ、フランスは女性記者が「恐かった」と語り、人々はパニックに陥らなかったとしきりに感心していました。

 出典は忘れましたが、江戸時代から明治初期に日本に訪れた外国人も、地震に出会い、村々の家屋が倒壊するなどを目にしていたようですが、翌日には隣村や他の地域から、人々が木材やロープを満載した大八車を押したり、ひいたりされながら救援にやってきていることに驚き、自分の国では皆、天を仰いで嘆息するだけなのに...と驚いている記述があります。

 筑紫哲也氏は、「自分は海外の震災を取材したが、略奪が起きず、こういう状況下でも被災した人々が整然と行動しているのは評価してよいのではないか」と阪神大震災時の人々の行動を指摘されていました。

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 日本は、昔から、地震や台風が多く、自然の驚異におびやかされているなかで、このような精神や姿勢がつちかわれてきたのかもしれません。

 その精神は、まさしく仏教の言う忍辱であり、大乗仏教では、特に対他的な徳目、忍辱波羅蜜として重視されているものです。

 こういった苦難に耐え忍ぶということが、徳目として具体的にうたわれているいることも仏教の大きな特徴といえましょう。

 日本人が阪神大震災をはじめとする災害に繰り返し出会いながら、それに耐え、助け合いながら立ち上がりつつけてきたことは、自然災害が多かったからということもありますが、それだけでは説明がつかないもので、やはり精神文化、つまり仏教の影響がると見られましょう。

 日本人は宗教心が薄いといわれますが、これはまた仏教が日本人の精神に深く根付いているがために、意識されないで、耐え忍ぶことが大切だと自然に出てきているのではないかと思います。

 アメリカが救援しようと呼びかけ、また各国からも救援があったことはありがたく感謝にたえないことで、困難な時に人間には思想・宗教・国家の枠を超えて助け合う精神があるということも、また再認識されるべきであると思います。