岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部

法話 93号 6月・7月 発行

帰命無量寿如来・南無不可思議光

蜷川祥美

「帰命無量寿如来・南無不可思議光」
 親鸞聖人が詠われた『正信念仏偈』の冒頭の2句であり、浄土真宗の門徒が、朝夕、称えてきた言葉です。
 南無・帰命とは、信じさせていただくということです。無量寿如来とは、限りのない寿命、すなわち永遠の仏という意味の言葉で、阿弥陀仏の異名です。また、不可思議光とは、私たちの思慮を超えた限りのない光、すなわちあらゆるものの心の闇を照らす智慧のはたらきをもつ仏という意味で、これも阿弥陀仏の異名です。すなわち、親鸞聖人は、阿弥陀仏を信じさせていただくという意味をもつ言葉、「南無阿弥陀仏」の異訳を繰り返して、ご自身の信心をお示しくださいました。阿弥陀仏とは、限りのない寿命をもつ永遠の存在で、限りのない智慧によって、あらゆるもののこころの闇を照らし、真実の生き方を志向させる仏であるといいます。


 また、親鸞聖人は『浄土和讃』で、
  十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
  摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
と詠われています。つまり、阿弥陀仏はすべての生きとし生けるものをつぶさにみて、摂め取って捨てない、すなわち必ず浄土に往生させ、仏にすることができる仏なので阿弥陀と名告っていらっしゃるのです。

 私たちは、諸行無常の世界に住んでいます。諸行無常とは、この世に存在するものは、一瞬の停止もなく生滅変化するという真実をあらわす言葉になります。
 どんなに元気な方であっても、自然災害や、不慮の事故、疫病の流行などで一瞬にして健康を害したり、いのちが尽きてしまうことすらあります。また、順調な仕事に誇りを感じ、それらが永遠に続くことを願っていても、周囲の環境の変化で悪化したり、失ってしまうことすらあります。

 しかしながら、人類の歴史を振り返ってみますと、自然災害や、不慮の事故、疫病の流行は何度も繰り返されてきたことです。たとえ、私にとっては初めての経験であっても、人類は同じようなつらく苦しい経験を何度もしてきました。
 健康で、財産、地位、名誉などをたもつことができているのは、とても貴重なことなのです。今、私が健康に過ごせているのは、家族のために、ご近所の方々のために、社会のすべての方々のために一生懸命はたらいてくださる方々など、貴重な多くのいのちのささえがあるからです。
 それらの貴重なささえの一部でも崩れてしまうなら、私の健康、財産、地位、名誉などはたちまち崩れ去ってしまうかもしれないのです。
 このように何もかも一瞬一瞬移り変わってしまう世の中で、家族のいのち、ご近所の方々のいのち、社会のすべてのいのちの危機を、わがことのように感じ、精一杯はたらいてくださっている尊い方々が大勢いらっしゃいます。阿弥陀仏のように、すべてのものを摂め取って捨てないとうはたらきはできませんが、自らのできる精一杯をなさっていらっしゃるのです。また、私のいのちが続くように、わたしたちの子孫がそのいのちを受け継げるように懸命に努力してくださったのが、先にお亡くなりになった私たちのご先祖さまたちです。そのお一人お一人のいのちは、尊く大切なものです。

 また、阿弥陀仏のみこころを信じたものは、南無阿弥陀仏と称える人生を歩むのだといわれます。南無阿弥陀仏という言葉には、阿弥陀仏のみこころを信じさせていただくという意味があります。無常という現実を知らせて、健康や財産、地位などが永遠に続くことのみを夢見るこころの闇を恥じ、限りのある人生の貴重さに気づき、このいのち終わった後には、限りのない永遠の真実と一つになることを目指しなさいと常に呼びかけてくださる阿弥陀仏のみこころを疑いなく信じることができるなら、浄土に往生して永遠の仏となることが定まるのだといいます。南無阿弥陀仏という言葉を称えることは、阿弥陀仏のみこころを信じなさいという仏の願いにかなう行いでもあるので、摂め取って捨てないという阿弥陀仏のご恩に報い、感謝の思いを示すことにもなるのです。

 先にお亡くなりになった方々は、限りある寿命を終え、阿弥陀仏の永遠のこころの世界である浄土に往生され、永遠のいのちの仏さまになられました。今は、阿弥陀仏と一つとなられ、永遠に私どもを見守ってくださる存在なのです。

 阿弥陀仏のみこころに出逢い、先にお亡くなりになられた方々の人生を偲び、自分のいのちも含め、今、私をささえてくださっている多くのいのちの貴重さ、尊さに気づいて、いのちある今の私のありさまや、いのち終えた後に永遠のいのちを与えられることへの感謝の思いをもち、その思いを大切に生き抜くこと、これこそ、「帰命無量寿如来・南無不可思議光」、即ち「南無阿弥陀仏」を称え、阿弥陀仏や周囲の多くの方々や、ご先祖さまたちへのご恩返しの人生を送ることになるのではないでしょうか。